昭和62年・平成10年におこなった禁煙週間事業の禁煙体験記懸賞募集入選作品集です。(目次のページへ)
優秀作(昭和62年)「さよならニコチン」
「さよならニコチン」
木 村 盛 武(札幌市)
私が禁煙を思い立ったのは、喫煙を始めてから10年後の昭和24年であった。
当時は満足にタバコが買えず、イタドリの葉やトウキビのひげをまぜて吸ったこともある。こうした品不足から始めた最初の禁煙は1週間より続かなかった。
禁煙を真剣に考えるようになったのは、27年ころからで動機は私の不整脈の原因が喫煙にあると思ったからである。そのころは、日に20本ほど吸っていた。ところがある日、せっかくの意図は1ヶ月足らずで挫折してしまった。
今度こそと挑戦した3回目は、2年後の元旦であった。この時は来客が忘れた1本を、トイレで吸ったばかりに90日の記録はストップした。
この3回の挫折を顧みて、とくに苦しかったのは禁煙直後に起きる数日間の禁断現象であった。しかし、真の正念場は苦しかった第1関門よりも楽な第2関門に入ってからの長い毎日であった。私は今も、荷車を引き、坂道を登る心構えでいる。
成功につながった4度目の挑戦は30歳の3月である。この時の対応はいままでと反対だったので具体的に記しておきたい。
○禁煙するにはチャンスを生かせ
人には気の進む時と進まぬ時がある。すんなり禁煙に入るには、波に乗ることが先決、気が向く時こそ着手
の絶好機である。
○禁煙を口にするな
禁じられたことはなぜかしてみたくなるものである。宣伝したばかりにトイレで1本という醜態を演じかね
ない。自他から束縛されないためにも口外は禁物。
○禁煙中もタバコをふところに
いつでも吸えると思う気軽さから逆にがまんができる。この心理的効果は大きい。タバコはめどが付いてか
ら離せばよい。
○魔の手は身近
食後、酒席、無為、弱音は4大魔の手
○頼れるものは意志と自制心
タバコ代わりに、ガム・仁丹といっているうちは、成功は難しい。頼れるものは自分だけ。
私はこのようにして禁煙を果たした。あえて付け加えるなら低い禁煙率が私をより反発させたことである。他人が出来て自分に出来ないはずはないと。
こうして、いつしか32年の歳月が流れた。以来、健康でこられたのも、いち早く禁煙を思い立ったお陰と感謝している。
厚生省(厚生労働省)の意識調査によれば、喫煙者の75%が、節煙か禁煙を考えているという。この数値は喫煙者の浸透と保健意識の高揚を示すものであり嫌煙者には朗報!といえる。この機会にも「喫煙は百害あって一利なし」「節煙は禁煙より難しい」という自説を協調させていただきたい。
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昭和62年・平成10年禁煙週間事業
禁煙体験記懸賞募集入選作品集
2005年5月24日発行
発行者 北海道禁煙週間実行委員会
連絡先 札幌市中央区北4条西12丁目
北海道労働福祉会館4階
社団法人北海道衛生団体連合会内
電話 011−241−7924
編集人 黒木俊郎・鎌田慎一 |