「私の禁煙体験記」
岩 田 博(札幌市)
私は昭和44年1月1日から禁煙して20年になります。当時、私は1日5〜60本の煙草を吸っており、まず朝起きて1本、洗顔して1本、食後1本、自宅から交通機関までの道路区間まで1本というありさまでした。
それまで何度も禁煙しようとして失敗し、それによって気もいら立ち、ますます煙草の吸う量もふえ、それもフィルターなしのきついタバコを吸うようになりました。そのころには手の指がニコチンのため、黄色くなり、フィルターをセットすると、煙草の味が薄れていくのが分かりました。
ある時、毎日結核患者のようなセキをして医者から慢性咽頭炎といわれました。また幼稚園に行っていた子供がクリスマスの日、願い事がかなえる日ということで、タドタドして文書で禁煙を迫られたのです。当時、子供は小児ぜんそくで煙草の煙が一番苦しかったようです。
それで前記の日から禁煙したのですが、聞くところによると、チューインガム、アメなどで口をまぎらわすという話を聞いていますが、私はこの方法では失敗しました。
禁煙の第1は、夫婦間のトラブルを起こさないこと。
第2は心配事、とくに仕事上のトラブルを起こさないようにすること。
第3は各種会合に出席しないこと。私は酒は飲まないので、会場での時間をもてあまし、煙草に手を出すことが多かった。
第4に煙草を吸っている人のそばに行かないこと。どうしても行かなければにらず、我慢できない時は灰皿に水を流して吸えなくし、時々、座を離れて水を飲むか、深呼吸をして「俺は煙草を吸わないのだ」と自分に言い聞かせる。
第5に体をあまり疲れさせないこと。疲労が重なると、どうしても煙草を要求する気分が強くなり、何十年も生きられないとか、煙草を吸わなくてもガンになる者はなるというような自分に都合のよい理屈をつけて煙草を吸い出すことになります。
なお世上、1週間禁煙すれば煙草をやめられるというが、私の場合、それ以上経過しました。現在でもピースをそばで吸われると、甘い香りに気が動き、疲れたとき、野原で青空を眺めながらの一服に淡い夢を抱くこともあります。禁煙〜それは20年たっても私にとっては一つの戦いであると思っております。
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昭和62年・平成10年禁煙週間事業
禁煙体験記懸賞募集入選作品集
2005年5月24日発行
発行者 北海道禁煙週間実行委員会 連絡先 札幌市中央区北4条西12丁目
北海道労働福祉会館4階
社団法人北海道衛生団体連合会内
電話 011−241−7924 編集人 黒木俊郎・鎌田慎一 |