「愛は禁煙を救う!」
佐 藤 雅 美(札幌市)
もう時効だろうから(?)告白するが、私が本格的にたばこを吸い始めたのは16歳の時であった。決して不良とかヤンキーであったわけではない。と言っても言い訳がましいが、勤労学生だった私にとって、たばこは唯一の安息であったのだ。
たばこは、百害あって一利なしといわれる魔物であるが、私のたばこへの依存は強まるばかりで、当初「18になったらやめよう」と思っていたのだが、努力もせずに「20歳になったらやめよう」に変わり、20歳を少し過ぎたころ、私はようやく初めての禁煙に挑んだ。
私はこう考えた。「たばこはウマイから吸うのだ。マズければ吸うまい」と。そして私は、某マズイたばこを購入し、たばこを吸うことでの禁煙という、世にもバカバカしい手法を試みたのだった。
そのたばこは本当にマズく、私は「こんなもの吸うくらいなら、たばこなんてやめた方がましだ。」と言うところまで行き着いた。順調である。しかし、悪魔は意外にも身近にいるものである。
当時、私が愛飲していたたばこを、私の両親も吸っていたのだ。いくらマズイタバコを買ったところで、目の前にはウマイたばこが転がっているのだ。 無念・・・・。私は作戦に敗れた。というよりも、意志が弱かっただけなのだが。
挙げ句、当時、私が努めていた会社は至極忙しくて、息抜きの方法といえば、野ざらし状態の非常階段の片隅の喫煙コーナーで、たばこをブカブカと吸い雑談するほかなかったのだ。ああ、無情・・・。20歳の禁煙は、あまりにもあっけなく終わってしまったのだ。
それから私は、まるでニコチン中毒(まるでではなく本当にそうだったのだろうな)の如く、カゼをひいてノドが痛ければメンソールを、お金がなければ本を売ってまでたばこをモクモクと吸い続けた。
私には一生禁煙なんて無理。昨今の禁煙ブームで肩身の狭い思いをしつつも、「一生吸い続けるのさ。そして肺ガンで死ぬのも一興。いい笑い話だ。好きなものを無理してやめてイライラするより、好きなことやって死んでやるぜ」そう思っている時だった。私があんなにあっけなく敗れた禁煙に、これまたあっけなく勝利できる時がやってきたのだ。
それが私が21歳になったばかりの頃だ。私にはおつき合いしている男の人がいた。六歳年上のとてもステキなダーリンなのだ。
私と彼は、彼の友人のところへ遊びに行くことになったのだが、そこの家にはまだ1歳の子供がいて、たばこを吸うなんてもってのほかであった。初めこそ、たばこを吸いたいという強い衝動にかられたが、私は3日間の禁煙に成功した。
そして私は思った。「いつか、私も彼と結婚して、かわいい赤ちゃんを産む日が来る。赤ちゃんのことを考えたら、たばこなんてプカプカしている場合ではないのしゃないかしら?」
つまり、今までの私は、根本的な考え方が間違っていたのである。自分の体のことは考えても、自分の体だからいいじゃん。と思ってしまうのは、意志の弱い私であるから当然なのだ。
しかし、その時、心から愛する人と、幸せな家庭を見て、私は「目からウロコ」というべき(普通ならバカバカしいかもしれないけど)意識改革ができたのだ。
愛する人とその未来のために、そう考えれば、禁煙なんてたやすいものだ。私は自分で驚くほどたばこをすんなりとやめられた。そして、もう3ヶ月が過ぎようとしている。
これからも私は続けていくだろう。そしてホコリのたまった灰皿に、私の幸福な未来が見えるような気がして、少し微笑むのだ。
(目次のページへ)
昭和62年・平成10年禁煙週間事業
禁煙体験記懸賞募集入選作品集
2005年5月24日発行
発行者 北海道禁煙週間実行委員会 連絡先 札幌市中央区北4条西12丁目
北海道労働福祉会館4階
社団法人北海道衛生団体連合会内
電話 011−241−7924 編集人 黒木俊郎・鎌田慎一 |